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■合理的な疑問点のキーワード 動画
(合理的な疑問点の代表例を整理)


@平成11年4月28日公開の司法解剖鑑定書より
第三章 説明

(5)右上腕部後面、肘頭部の上左方4cmの部を中心に、2×2.5cmの紫青色皮膚変色部。左上腕部内側下13cmの部に、上下に7cm、幅3cmの淡赤紫色及び淡赤褐色皮膚変色部。加割すると皮下出血を認める。
(8)右上腕部内部、腋窩の高さの下方11cm部を中心に、上下5cm、幅9.5cmの皮膚変色部を認める。加割すると皮下出血を認める。

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脱線してしまいがちな話題ではありますが、話を再度シンプルにその内容を整理しますと・・・

朝木市議が「万引きを苦にして飛び降り自殺をした」という内容には、どうしても合理的な疑問が残る。
その疑問を残さない程度の証明がなされない限り、朝木市議が「万引きを苦にして飛び降り自殺をした」とは認めないし、かつ絶対に認めてはならない、ということなのです。

ここで、合理的な疑問点の代表例を整理しますと・・・

1.自殺の理由づけとなる万引き疑惑は不明朗な部分が多い。
2.なぜ朝木さんの収容先を家族に3時間も知らせなかったのか。
3.事故後6時間で「自殺なんだよ」と怒鳴ったという刑事の言動。
4.担当検事が創価信者である点。
5.その検事を担当させた東京地検八王子支部長も創価信者である点。
6.司法解剖鑑定書が事件から4年以上も経てようやく出てきた点。
7.その司法解剖鑑定書に両腕に他人がつけたようなアザがあったという点。
8.そしてなぜか創価教団が声高に「自殺説」を強弁している点。
9.宗教団体らしからぬ創価の故人、遺族、関係者に対する誹謗中傷、嫌がらせなど


といったところでしょうか?他にもまだまだ合理的な疑問点を挙げられる方がおられるかもしれません。

とにかく、一人の人間が、そして市会議員という市民の代表者たる立場の人間が、自然死ではない形で亡くなったという点を考えれば、その真相はないがしろにされてはならず、良識に照らして疑問が残る場合には、その真相究明を訴えることこそ文明国における国民大衆の責務であり、なによりの権利であると考えます。

Posted by せと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会 at 2008年09月10日 17:02


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アップされた遺体鑑定書の結論部分を一部抜粋しますと

鑑定
2「−従って、他人と揉み合った際に生じたことが最も考え易い。」
3「皮下出血を伴う左右上腕内側の皮膚変色部は、死亡にごく近い時期か、それより少し前に生じたと見るのが妥当である。」

とあります。法医学上の合理的な学理・学術上の鑑定結果であるとお見受けしますが異見を唱えられる方はいらっしゃいますでしょうか。

いわゆる「自殺説」を主張される皆様には、ご覧いただいた上での、反駁をお願いしたいと思います。

せっかくの機会です。「朝木市議が万引きを苦にして飛び降り自殺を図った」ことに対する合理的な疑問のひとつです。先入観や偏見ではない客観的な反駁をお願い致します。

Posted by せと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会 at 2008年09月14日 21:03


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「ピコ」さん、コメント(09月14日 21:28)ありがとうございます。
返答遅れまして申し訳ありません。さて、ご案内いただきました反駁資料を拝見させていただきましたが、他のコメンテーターの皆さんがご指摘の通り、まだこれをもって提示されている合理的な疑問を残さない程度の証明にはなっていないように思えます。
他に何か、「他殺説」を否定するに足る立証資料はございますでしょうか?もしご存知でしたらよろしくお願いします。

また、「ピコ」さん以外の方で、他に提示できる反駁資料をご紹介いただけます方いらっしゃいましたら、ぜひよろしくお願いします。

「ピコ」さん、資料の提示ありがとうございました。

Posted by せと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会 at 2008年09月15日 00:19


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ここだけでなくところどころの投稿で、せと氏や西村修平氏、和田春樹氏、桜井誠氏(以降便宜的に「憂国4氏」と書かせていただきます)などの活動を批判的にコメントされている人がいます。

私はせと氏らの運動を拝見していると、「世論の喚起」と「大衆の関心度を高める」という部分に主な重点を置いて運動をされているような気がしています。おそらく「正攻法」的な言論活動としては、著述・講演といった方法で地道に運動していく手法もあるでしょうが、果たして何人の人がその著述を手に取り、講演に足を運ぶでしょうか。どれだけの人の関心を呼び、それが世論に反映されるでしょうか。

「憂国4氏」の活動を注意深く見ていると、どうやら不特定多数の国民大衆や無関心層の人たちにどれだけのインパクトを残すことができるかを考えて運動をしているかということがよくわかります。どれだけ多くの人に印象を残すか、一見過激なように見える言動の一つ一つは人々の耳目を集め、好奇心や関心度を高めて更にそれを世論の喚起につなげていこうとする緻密な気遣いをうかがい知ることができます。「あえて」過激に見える言動によって国民大衆に訴えかけ、現にネットや街頭での活動によって「憂国4氏」を知っている人は意外に多いことにお気づきでしょう。

続く

Posted by せと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会 at 2008年09月15日 01:06


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続き

面白がって見ている興味本位の人たちが、好奇心で4氏が訴えかけていることを調べてその問題の重大性に気付き、世に意見を持つ人たちは確実に増えているようです。現にここにコメントを投稿されている皆さんは、少なくともそのことをご存知のはずですよ。「表面化」していない憂国の国士は続々と誕生しているのですから。

「憂国4氏」らの手法に違和感や反感をもたれている人でも、主張している内容や訴えかけていることには賛成・賛同している人たちが多いことも指摘しておきます。おそらく、そのような人々が増えることを「憂国4氏」はそれも目的の一つにしているのではとも思えてなりません。だとすれば、その目的は確実に「成功」しているとみて間違いないでしょう。4氏らのデモや抗議活動に参加しようがしまいが、主張や趣旨に賛同している人が現にいるのですから。

せと氏らの運動・活動の手法に抵抗感をもたれるのは個人の主観的な問題ですからそれをどうこういうつもりはありませんが、現実にそれによって問題意識を共有している、またはそうならんとしている国民大衆各層の存在を無視することはできないことを指摘しておきたいと思います。活動や運動が決して無意味な徒労に終わってはいないことを明記させていただきます。

Posted by せと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会 at 2008年09月15日 01:23


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